中級をめざすフィリピノ語(タガログ語・フィリピン語)初級者のHP

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態(たい)

[本来の態] 態(voice)は、印欧語の動詞の文法範疇の一つであり、英語などでは、能動態(active voice)と受動態(passive voice、被動態ともいう)の区別として表されている。これは、動詞の表す動作と、その動作を起こす者(動作主 agent)、および、その動作を受ける者(受動者 patient)との関わり合いを示すもので、その動作を起こす者が主語となる場合は、その動詞は能動態の形をとり、その動作を受ける者が主語となる場合は、その動詞は受動態の形をとる。たとえば、英語で、Jack hit Paul. 「ジャックはポールをなぐった」のhitは能動形(active form)、Paul was hit by Jack. 「ポールはジャックになぐられた」のwas hitは受動形(passive form)である。この二つの表現は、同じ事態、すなわち、ジャックがポールをなぐったことを述べているが、主語の選択が違っており、受動態では、能動態の目的語が主語に転換している。そして、受動態が起こるのは、印欧語のような、主語を必ず明示する両肢言語においてはじめて可能である。大体、受動態の表現は、その動詞が目的語を要求する他動詞に限られるのであるが、能動態の表現で目的語となるものに焦点を合わせて主語と見立てることによって、動詞の方を受動態に変えなければならなくなる。しかし、日本語のような単肢言語にも、態に類似する現象は観察される。

受動形は、印欧語全体の長い歴史的発展の中で、はじめからあったものではないらしい。ギリシア語やサンスクリットのような古い印欧語には、受動態とは違う、中動態(middle voice)とよばれるものがあって、能動態と対立していた。この対立を、diathesisとよぶ。中動態とは、動詞の表す動作が主語となるもの自身に戻ってくる場合である。この中動形(middle form)が受動態に用いられるようになったのであるが、これは、中動態では主語のさすもの自身が動作の目的になるので、その中に目的語の主語への転換の契機が含まれているからである。後世の多くの印欧語にみられる再帰代名詞(reflexive pronoun)を伴う再帰動詞(reflexive verb)は、この中動態の延長上にあるもので、この再帰動詞も、しばしば受動的な意味に用いられる。

[能格構文] 態を、動詞とその主語との関わり合いであるとするならば、能格構文(ergative construction)の問題が、当然考えられなければならない。能格(ergative)は、ある言語(たとえば、グルジア語など)では名詞の主格的補語を示す格であるが、他の言語(たとえば、エスキモー語など)では名詞の一つの格というより、ある格の用法と考えられる。一見、受動的に見えるが、実は能動的な表現をもつ構文を、能格構文という。

このような能格構文を示す言語は、案外少なくない。しかも、能格構文が主格構文と並行して現れる言語がしばしば見出されるのは注意を引く。たとえば、ポリネシア諸語に属するサモア語には、能動形と並行して、文法家が「受動形」とよんでいる形がある。

印欧語のような主格構文に慣れている眼からすると、この能格構文はいささか不思議な構文である。しかも、主格構文と能格構文が並立する言語があることは、一体どう解釈すべきなのであろうか。思うに、この両者の並立は、動作の主体に焦点(focus)を置くか、動作そのものに焦点を置くかの違いにあるようである。もちろん、思考の中では、主体のない動作は考えられない。ただ、言語表現としては、主体を表さないか、または、焦点の外に置くことは可能である。主語を文の必須の要素とする印欧語と違って、動作の主体を正格(主格 nominative)として示さないで、いわば斜格(oblique case、すなわち能格かその他の格)として表す言語もありうるのである。そして、能格構文をつくる動詞は、多くの場合、はっきり目的語を要求する他動詞であって、その目的語は印欧語のように対格(accusative)とはせずに、絶対格にするのである。絶対格というのは無限定の格で、文脈により、主語にも目的語にもなりうる。ちなみに、日本語は、主語を必ずしも文の必須の要素としない単肢言語である。したがって、日本語では、主語の有無にかかわらず、動詞に焦点を合わせることができる。
また、サモア語のいわゆる「受動形」が必ずしも受身を意味せず能動的な意味になるのも、主語に焦点を置かずに動詞に焦点を置く形とすれば、よく理解される。このような言語は、案外ほかにもあるようである(たとえばタガログ語のように)。このような能格的表現をする言語の文を、英語のような印欧語で訳すと、どうしても受動形を使うようになる。それは、印欧語には能格構文が欠け、主格構文一本槍であり、しかも主語を必ず示さなければならないので、もし他動詞の目的語に焦点をあてれば、その目的語を主語に転換し、そして動詞を受動形にせざるをえないからである。

[日本語の受身] 日本語のいわゆる受身の助動詞ル・ラル(口語では、レル・ラレル)は、一見、受動態を示すようである。確かに、動詞が他動詞の場合は、受動的である(私ハ撲ラレタ)。しかし、この助動詞は、自動詞にも付く。たとえば、子供ニ泣カレル、親ニ死ナレタなど。これは、いわゆる被害の場合である。コノ道ハ行カレルなどは、可能を示す例である。ただし、この可能の場合は、現代語では、五段活用の動詞の場合などでは、口語の場合、仮定形+ルの形で言うのが普通である(コノ道ハ行ケル)。また、昔ノ事ガ思イ出サレルはいわゆる自発の場合である。これらの場合を通じていえることは、その原型は、他動詞であれ、自動詞であれ、その動詞の示す動作が話し手に及んできて、その結果、ある状態になることである。もちろん、アノ子ハ撲ラレタのような例では、撲られたのは話し手ではないが、第三者(この例では、アノ子)に話し手を置きかえた表現に過ぎない。このような置きかえ、あるいは移入は、言語表現としてはかなり自然であろう。なお、助動詞ル・ラル(口語では、レル・ラレル)は、敬語にも使われるが、日本語の敬語表現は、一般に直接的表現を避けて、間接的表現を好むところから、話し手が敬意を表する相手の行動を、話し手に及ぶ行動として間接的に表した結果である。

[使動態] 態の一種として、もう一つ考えられるのは、使動態(causative)である。これは、普通、使役とよばれるが、ある主体が他の主体にある動作を行なわせる場合である。英語では、makeやletなどを助動詞的に用いて示す。たとえば、I make him go.「私は彼に行かせる」。使役は、古い印欧語では、動詞の態としては扱われず、動詞の二次語幹の形で示された。たとえば、日本語では、助動詞ス・サス(口語では、サル・サセル)を添加して示す。文語では、さらにシムという助動詞もあった。これらはまた、文語では、敬語の意味にも使った。たとえば、書カセタマフ。使役は、一般に、目上の者が目下の者にある動作をさせることであるから、目上の者の行動に敬語として用いるのは理解できる。なお、イラッシャルは、もっとも基礎的な3つの動詞の居ル・行ク・来ルの敬語として使われるが、もとはイラ・セ・ラルからきた言葉で、使役と受身の助動詞を重ねた敬語である。

『言語学大辞典』(三省堂)

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